沖縄の神話について
2012年5月13日 沖縄の本土復帰40周年を明後日に控えて この日のぶらりには2つのオプションを用意していた 現在の沖縄を周る旅と、神話の世界を廻る旅だ 前者ならおきなわワールドで、後者なら東御廻り 心はハナから神話に傾いている が、脳天気であることがポリシーのこのサイトで、神話の世界が馴染むのか テダ御川を目の当たりにし、その迷いは一瞬にして吹き飛ぶ この人たちはともかくね 結論から言うと、この日は斎場御嶽を始点に、久高島、薮薩御嶽と見て歩いた 翌日も予定を変更し、ミントングスク、玉城グスクに足を運んだ 沖縄の始祖神、アマミキヨの足跡を辿ったのだ そしてそれらの遺跡を前に、おれはひとつの思いに駆られていた アマミキヨとは何者かと
ではまず、沖縄の歴史をざっくりと紹介しよう 1500万年前、沖縄諸島は日本列島や中国大陸と陸続きだった ゾウやシカの化石、イリオモテヤマネコの存在がそれを証明している 1000万年前、いちど大陸から分離するが、150万年前、再度中国大陸と繋がる しかし2万年前にまた分かれて島化し、次第に島々が小さく分かれることになる そして、氷河期の終了で海面が上昇し、現在のような姿となる 沖縄の歴史に初めて「人」が登場するのは3万2千年前である 昭和37年、那覇市の奥武山で化石人骨が出土する 8歳ぐらいの女児で、一般に「山下洞人」と呼ばれている 何故か実物の画像は公開されていない 一緒に出土した殺戮兵器 昭和42年には具志頭村で「港川人」と呼ばれる化石が発掘される 旧石器時代末期、1万7千年前の人骨であると考えられている 身長153cmと小柄で、45〜65歳の男性らしい 港川人1号と囚人のように番号で呼ばれている このころを境に人類は新石器時代を迎える 当時の女性 日本史において新石器時代とは一般に縄文時代と弥生時代を指す が、沖縄では平安時代までが新石器時代であったと考えられている つまり、沖縄では8世紀を迎えてもなお、水稲が行われず 狩猟採集によってその日を暮らしていたのである 貝塚時代と呼ばれる時代、その末期 9世紀から10世紀となってようやく水稲が伝わることになる お百姓さんありがとう 水稲は中国では7000年前に、日本では3000年前に始まっている だが、沖縄のそれは1200年前に始まった 陸が切り離され、中国や日本との交流が絶えたことに起因するが それでも、沖縄が交易の中継点であったことは明白であり、その証拠も多い 日本との1800年ものタイムラグは明らかに不自然であり 翻って、水稲は、いつ、誰が、どのように持ち込んだのか そのことが沖縄史における重要なテーマとなっているわけだ 残さず食べよう では、水稲はどのように日本に伝わったのか そのルートには大きく分けて3つの仮説がある 【北方ルート説】 中国北部から華北・朝鮮半島を経て北九州に伝来 【南方ルート説】 中国華南地方から台湾・沖縄を経て九州に伝来 【揚子江・東シナ海ルート説】 揚子江(長江)下流の南方から直接北九州に伝来 最有力は揚子江・東シナ海ルート 北方ルートを支持する学者も多い その勢力図は日々変わる だが、南方ルートは明らかに劣勢である 前述したように沖縄に水稲が伝来したのは9世紀ごろ 日本とは1000年以上の時間差がある 南方ルートが本命となるためには沖縄で3000年以上前の炭化米が発見されることが必須であり つまり、沖縄の水稲が本土に先行または並行し伝承したことが立証される必要があるのだ そう、南方ルートは(今のところ)考古学的にも農学的にも完全に否定されている それでも南方ルートへの支持が根強く残っているのは 柳田國男の「海上の道」が浪漫溢れる名作だからであろう それは会場への道でしょ! 以上のことから水稲は日本と沖縄とで異なる年代、異なるルートで伝来したと見ていいだろう つまり、沖縄への伝来は日本への伝来と切り離して考えるべきで 沖縄の歴史や風土に照らした独自のアプローチを模索する必要があるわけだ 猿とて悩む日もある そこで登場するのがアマミキヨ伝説である 【アマミキヨ】 琉球の国土創世神。女神。 むかし、天帝から島造りを命じられたアマミクが天降ってみると、下界は一面の海原だった。 そこで天帝から土石草木をもらって多くの島々を造った。 その後数万年を経て、天帝から1男1女を下しもらい、このふたりから地上の人々が生まれていったという。 この伝承は、豊かな海洋性にあふれた沖縄諸島の代表的な神話である。 (朝日日本歴史人物事典より抜粋) アマミキヨ え? 科学がダメならオカルトかって? 佐渡酒造は言った 「科学の常識、必ずしも永遠の真実ならず」と 地球一の名医 このアマミキヨ伝説には数多の類型がある 大まかに分類すると、(A)アマミキヨ1柱によるものと (B)アマミキヨ、シルミキヨの2柱によるものがある 更に、その舞台が(C)沖縄本島の全域に及ぶものと (D)久高島のある南城市に限定されるものがある 口承の多くが1柱であるのに対し、史書の多くが2柱であることについては 日本神話に色濃く影響を受けた結果と見て間違いない 伊弉諾神と伊弉冉神である アダムとイブがそうであるように、神話の世界で兄妹始祖は決して珍しくない 日琉同祖論が話題となっていた時代でもある 舜天が源為朝の子であるか否かはともかく その舞台が沖縄全土に及ぶものと南城市周辺に限定されるものに分かれる点については 当時の権力者が久高島を常世の国と見立てることで民の信仰心・求心力を得ようとしたと見ていい 神話の世界をミニチュア化することでニライカナイを具現化した 多くの宗教がそうであるように、人心を掌握するには具体的な様式・方法論が必要 ハビャーンに降臨した阿摩美久が最初に安須森御嶽を造ったというのもおかしな話だからね 数多の伝承を統一し崇拝の矛先を久高島に向けることで思想の統合を図ったのだろう おもろさうし 中山世鑑 中山世譜 球陽 ところでニライカナイはどこにあったのだろう 大東島は近年まで無人だったし 小笠原はちょっと遠すぎるような気がする あ、どっちも否定する材料にはならないか 根の国、即ち黄泉の国という解釈はしたくないなー 死界と天界を同一視するのはイヤ 具体的な場所があった、もしくはあると信じたいもの 楽園=南国という陳腐な発想 で、だ アマミキヨ伝説には大きく分けて2×2=4つのパターンがある 沖縄の全土で伝承される神話は概ね(A)(C)のパターンで 久高島の島建神話や浜比嘉島のアマミチュ・シルミチュ伝説が(B)(D)のパターン 史書においては、おもろそうし、琉球神道記、中山世譜、球陽が(B)(C)のパターンで 中山世鑑が(A)(C)、琉球国由来記が(A)(D)のパターンである 琉球開闢七御嶽は(A)(C)による分類であるし 東御廻りは(A)(D)による分類である 共通しているのは、アマミキヨが女性であること、天下ったこと 沖縄を創世したこと、人を地上に降ろしたこと、そして、水稲を齎したこと ま、このへんの解釈については多々あるので あくまでもおれの考えということで理解して下さい てゆうか、これら全てがお伽話の類なので、どこをどう解釈してもいいはずで 掲示板にも書いたように、神話に整合性や論理性を求めても仕方ない ただ、物語としての外観は、中山世鑑がいちばん美しいかなーという気がする 面白いことに「神」という名称が登場するのは正史の中で中山世鑑だけだったりする では、ざっと紹介しておこう 中国サイトのスクショ 【意訳】 天の城に阿摩美久と云う神がいた 天帝は阿摩美久を呼び、下界に降りて島を作ることを命じる 地上には土地はあるが、まだ島として外観ができていない 阿摩美久は天帝から土、石、草、木を授かり、島を造ることに成功する が、それから数万年経っても、人が生まれてこなかった 阿摩美久が天帝に人間の種子を乞うと、天帝は人間の子ども2人(兄妹)を大地に下ろす やがて兄妹は三人の男と二人の女を造る(但しノーセックス) 長男は天孫氏として沖縄の王となり、次男は諸侯の、三男は農民の 長女は君々(高位の神)の、次女はノロ(巫女)の先祖となる 天孫氏は25代続き、17802年ものあいだ、沖縄を統治する ね、美しいでしょう 神話として何の矛盾もない、至って綺麗なお伽話 日琉同祖論者・羽地朝秀が編纂してもなお、日本神話と一線を画している 古事記や日本書紀では、伊弉諾神と伊弉冉神は神だから 天帝御子2人(即ちアマミキヨとシルミキヨ)は人 なんたって浜比嘉島に住居もお墓もあるのだからね わりと新しく見えるけど1万7千年以上前に造られたはずの住居跡とお墓 つまり、天帝は宇宙を司る最高神 阿摩美久は現世の始祖神であり、天帝と人とを繋ぐもの そして、アマミキヨとシルミキヨは世界で初めての人であると それが中山世鑑の世界観 そう、神はこの世界に最低限度のものしか与えなかった その建造と維持発展は、神ではない者に委ねた そこが素晴らしい ギリシャ神話や旧約聖書にも同様のニュアンスがあるのだけど 少なくとも日本の創世神話では、神は創造主であり支配者であり生活者なのでね このあたりからも、沖縄がいかに海洋性、国際性に富んだ地域であるかが分かる 中山世鑑はそのへんを上手に表現した 後に編纂される中山世譜、球陽ではそのへんがかなり適当で ポリシーがないというか、神話は神話じゃんというスタンスが見え隠れする そうせざるを得なかったという事情もあるんだけど でも、神話には何らかの真実が隠されているもの オノコロ島で水蛭子が生まれたことが種族保存における重大な警鐘であるように その神話をないがしろにした史書を、高く評価することはできない おれの中では中山世鑑こそが中世沖縄の最高の史書 中山世鑑はわしが書いた おっと、話が逸れた 創世神話については日を改めるとして、水稲の件に戻ろう 前述のように、神話には事実が含まれている いや、事実を後世に残すために神話が生まれたと言っていい 水稲の件でいえば、これにはもう、明確な答えがある アマミキヨが伝えたと 農作業に汗するアマミキヨ 沖縄において水稲を齎したのは、アマミキヨ これは、神話のどの類型、史書においても一環した内容である では、沖縄に水稲を持ち込んだアマミキヨとは、一体どんなものか ここでは神話の世界ではない、つまり創世神としてのアマミキヨでない 沖縄に水稲を齎したアマミキヨという「人」について考察する アマミキヨにお祷りするアマミキヨ アマミキヨに関わる各種語形は50を超える アマミク、アマミコ、アマミチュウが代表的なものか 共通しているのは「アマミ」である 大山元氏は「キヨ」や「チュウ」は人を意味するとした するとアマミキヨとは「アマミの人」ということになる では、アマミとは何か それが、謎を解くカギである アマミキヨのオーバーマスク これにも諸説ある まず、奄美群島の「奄美」に由来するという説 これは論ずるに値しない 高宮広土氏によれば沖縄で水稲が始まったのは9世紀ごろ 琉球政府文保委によれば奄美の人々が沖縄に渡来したのは紀元前3世紀ごろである これではアマミキヨが沖縄に稲作を齎したとするこの神話の根幹部分に矛盾してしまう 1200年ものタイムラグは如何ともし難い 次に、伊波普猷氏による「海人部」を起源とする説だが 外間守善氏の著書にあるように、アマミキヨは沖縄開闢の神であり その語源に隷属民の象徴たる「部」という文字が使われるとはちょっと考えられない 論外 また、天御中主神から転じたものとする説については 日本神話との整合性によるものと解釈すれば外形的には正鵠を射ていよう が、アマミキヨ信仰は7世紀にはその原型があったと言われている その名称(アマミキヨ等)が後天的に付けられたことは明白であるが 神話そのものは日本書紀や古事記に先行する伝承であって 時系列からこの説を採るのは難しい そもそも天御中主神は日本神話における最高神である アマミキヨ伝説においては天帝に相当するので話の辻褄が合わない 何かを祷るアマミキヨ なんだよ、答えはねーのかよ そんな声が聞こえてきそうだが そらそうよ 答えなどあるわけがない お偉い学者先生が寄って集って知恵を絞って未だ答えが出せないことを 沖縄史学習歴40時間くらいのおれが解明できるわけないしぃ〜 でも、アイデアはある 「アマン」 アマンとは、インド原産の稲の品種のこと つまり、アマミキヨとは「アマン稲を伝えた人」のことではないかと 美しいインド人女性 インド原産のアマン稲はいったんタイ等のインドシナ諸国に伝わり そこからフィリピンを経由し、日本へと続く黒潮に乗った それがおれのアイデア タイもフィリピンも今もアマン稲の生産地であることが論拠となる この場合、先の仮説【南方ルート説】とはその詳細な経路が異なることとなるが 柳田國男氏が提唱し佐藤洋一郎氏が支持した「海上の道」を補完する仮説となりえよう もちろん矛盾もある アマン稲はインディカ米の品種だ 日本に広く分布しているのはジャパニカ米である 沖縄でインディカ由来の炭素米が発見されたという事実はないし 更にジャパニカ米は九州が最初の伝承地であることが分かっている つまり、このアイデアには論理性がない シルミキヨの「シルミ」をどう解釈するのか、という問題も残る だが、この仮説を強烈に後押しする事実もある このアイデアの立脚点となったことだが・・・ 泡盛の材料にはインディカ米が使われている 蒸留酒の製法は15世紀前半にシャム(現在のタイ)から伝わった 泡盛は当時から唐米というインディカ米を原料としており 米の輸入が制限されている現在でもインディカ米を用いて製造されている その製造方法も当時とほぼ同じと言われている この細長いのがインディカ米 どうよ これで合点がいくでしょ アマミをアマンと解釈すると、いろんなことが明解になってくる 沖縄の開闢神話において五穀豊穣は国造りと同等か、あるいはそれ以上に重要なテーマ アマミキヨの名に水稲伝来の過程が盛り込まれていても何ら不思議ではない 早起きしたアマミキヨ では、最後におれの仮説をまとめる 沖縄の創世神話の原型は7世紀ごろ成立する 9世紀になると南方から黒潮に乗って異邦人が来訪する 彼らは人々に水稲を伝え、これを基に五穀発祥神話が成立する この五穀発祥神話が、先行する開闢神話と自然発生的に統合されると アマン稲を由来とするアマミに人を意味するキヨが付加され、アマミキヨという名称が生まれる これが沖縄の創世神の呼称となる やがて日本神話との摺り寄せが求められ、天下ったのは1柱ではなく2柱ということになる ここにアマミキヨ・シルミキヨによる兄妹始祖神話が完成 沖縄開闢神話として16世紀の「おもろさうし」に詠われ 17世紀の「中山世鑑」「中山世譜」「球陽」に記されこととなる 時の権力者は神話の事象を久高島にモデリングし、信仰の対象とすることで人心を掌握する これが、アマミキヨ伝説の全貌である どうだ、参ったか これが沖縄史学習歴40時間の浅知恵だ もちろん反論は認めない 意見交換にも応じない ちなみにこの仮説に近いものが過去になかったわけではない ぶらり本編でさりげなく触れた「琉球国由来記」がそれ 「昔、阿摩美久がギライカナイから稲の種子を持ってきて玉城親田」とある が、琉球国由来記は史書ではなく地書であり、この伝承も「神話として」紹介しているに過ぎない よって科学的な検証がなされたこともなく、正史にその内容が記載されることはなかった 歴史というのはもともと適当なもので、時の権力者が自分の都合のいいように書き換えるもの その解読にはまず仮説があり、次に検証がある 検証をクリアして初めて歴史の一部分となる だが、どんなに検証が困難でも、仮説そのものがNGとはならないはずだ 歴史そのものが概ね仮説 確定する術がないのだから そこが、考古学の面白いところ 人はどこから来てどこへ行くのだろう
そんなわけで、いったんこのページは終わります 脈略のないヨタ話に最後まで付き合ってくれてありがとね 本当はぶらり本編でグダグダ書こうと思ったけど それもちょっと違うかなーと思って、今回、こんな形式にしてみました たぶん続きがあると思うので、次回をどうぞお楽しみに いつになるか分からないけど、オボツカグラやキンマモンも扱わないとね 大神島についてもおれなりの仮説があるし じゃ、そんな感じで こんな時代が来るのかしら
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