12年07月17日 その2
とりあえず前回の宿題を片付けよう
精養軒のほうへぐるっと回って
上野大仏 元々ここには大仏殿があったのだが、上野戦争のあと新政府軍に取り壊された よって詳細は分からない が、大仏殿へのアプローチはこちら側ではなかったかとおれは見てる この画像からの推察なんだけど http://www.ueno.or.jp/history/img/04_ph10.jpg これ、1870年ごろの写真らしい(笑)
パゴダ ミャンマー様式の仏塔のことで、仏舎利/法舎利を安置する施設
ここでは上野寛永寺ご本尊の薬師如来を祀っている 中は撮影できないのでこの角度から
お顔はご健在 前回のレポで紹介したように、1923年、関東大震災でポロっと落下 それ以前はこんなお姿だった http://www2.tba.t-com.ne.jp/sakuramomo/image/2648.jpg
でかすぎきめryとか言ってはいけない ずっと保存してきた寛永寺のみなさんに合掌礼拝
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東照宮弟一売店
おーずいぶん様子が違うねー
なかなか良心的な値段設定 上野動物園から徒歩数分だからね
中はこんな感じ ひとりで突撃できる空気ではない
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上野東照宮
前回は早朝で中に入れなかった
この人通りの少なさが何かを予感させるが…
今は考えないようにしよう
神楽殿 1874年、深川木場組合が奉献したもの 総ひのきの無節柾目材による素地仕上げ
御水舎 1873年、新門辰五郎が奉納 辰五郎は江戸の人気者で、庶民のみならず将軍家からも愛された人物 本職は町火消しの頭領だけど、鳶頭、香具師、侠客、浅草寺門番という横顔も 弾左衛門とはどんな関係だったのだろう? 尚、め組の辰五郎(サブちゃん)とは別人
水舎門 1651年、家光の老中・阿部重次が奉納 実はこの水舎門の上屋が参道入り口の赤門に転用されている
広島・長崎の火 平和の塔の"原爆の火"と長崎の原爆瓦から採火した"長崎の火"を合火したもの この火は核兵器根絶の日まで燃え続ける
ガビーン
まーた見れないのか
なんとかしろよドラえもん
銅燈籠は全48基 画像手前の6基は徳川御三家(紀伊・水戸・尾張)の寄進 他の42基は諸大名の寄進で、最古の奉納は1664年
ご存知五重塔
石灯籠も前回レポしたね
しかしまた宿題ができるとはなー
つくづく間が悪いな、おれは
東照宮弟三売店
グラント将軍植樹碑
小松宮親王像
恩賜上野動物園
パンダの件は残念だったね
でもこれはパンダじゃないと思うよ 外国人観光客も「GYHAHAHAHA KOREGA PANDAKAYO」って言ってたし
東京国立博物館 今日も休館だね〜って、そうか、おれいつも月曜日に上野に来てるんだ
だからいつも施設が休みなんだと今ごろ気付いたよマジで
で、最後の宿題
前回訪ねておきながら何故か撮影しなかった場所へ
何故かっていうか、ちょっと怖かったんだよね
おれ、苦手なんだよ
お稲荷さん
実家の旧宅の茶の間に、キツネのお面の魔除けがあって
それがめちゃくちゃ怖かった
忍岡稲荷 前回のレポでも記したが、350年前に天海の弟子・晃海僧正が再建したもの
俗称:穴稲荷 この"お穴様"は上野キツネ衆の安住の場所
寛永寺の建立により、この地のキツネ衆が居住地を失われる これを憐れに思った晃海僧正がこの一洞を造り社を祀ったと云われている
台無しだよばかやろう
そんなわけで
今回の上野散策は終了
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