12年03月12日 その1
結局ほとんど眠れなかった ネカフェはあのスペースでハイスペックPCだから熱が籠ってしょうがないんだよな
で、朦朧としたまま早朝の上野をぶらぶら ちょっと一杯やる気分でもないしね
でもそれじゃこの2日間のコストが全く無駄となってしまうので
上野の山をふらふらしてお茶を濁そう
上野恩賜公園 1873年の太政官布達により我が国で初めて公園に指定される 530000uの面積を誇る日本屈指の都市公園 国立博物館、上野動物園、東京藝術大学等々、その内外に様々な文化施設が点在する 元々は東叡山寛永寺の境内地で、1924年に宮内省を経て東京市に下賜 恩賜の名称が付くのはそのため ちなみに寛永寺の開基は徳川家光、開山は天海だから、まさに江戸の象徴ともいえる場所だね とりあえず案内図を直リンしておく(PDFなので注意)
しかし、なんとも不思議な街だよな ちょっと歩けばアメ横があり、コリアタウンがあり、サウナという名のはってん場も多い(笑) もっと人気があっていいと思うのだが
不忍弁天堂 天海建立のお堂で、谷中七福神のひとつ 建立は17世紀に遡るが、これ自体は1958年のリメーク
その向こうにあるのがボート場で
これよりボート池の周回コース
なかなか美しいけど、もう少しビルがあったほうが壮観かな
きれいに並びすぎだろ
で、この不忍池
今でこそ蓮池、ボート池、鵜の池の3つに別れてるけど、昔はひとつだった ここが競馬場だったころ、つまり20世紀初頭までは大きな1つの池だった
ぶらタモリでやったから知ってるひとも多いかな
あら、こんにちは
つまりここ不忍池は時代の変遷と共にその様相を変えてきたわけ
もっともこのへんはかつては海だからね 縄文時代まで東京湾の入り江だったというから、地形の変化、自然の営みには驚かされる
はいボート池一周
動物園通りを横切り精養軒方面へと進攻
薬祖神・五條天神社 祭神は大己貴命と少彦名命 創建は110年で、景行天皇による ・・・・・・ 110年って、1900年前? はい〜?(杉下右京ふうに)
公式にはこうある 第十二代景行天皇の御代、日本武尊が東夷征伐の為、上野忍が岡をお通りになられた時、 薬祖神の大神に御加護を頂いた事を感謝なされて、この地に両神をおまつりなされました
つまり日本武尊のプレゼンによりここが創られたわけだが・・・ 1900年前の出来事ですって奥さん ただ、尭恵法師の北国紀行にもその名が記されてるから相当の古社であることが分かる さすがに1900年前ってのは話がでかすぎるが、1000年くらいの歴史はありそう
1641年には菅原道真が合祀され、歌の道の祖神として俗称下谷天満宮とも云われたそうだ 社地がアメ横の入口付近にあった時代もあるそうだから、いろいろ面白いもんだね
その横にはお稲荷さんが鎮座してる 祭神は倉稲魂命で、創建は不明 350年前に天海の弟子・晃海僧正が家光の夢を見て、廃絶していたここを再建したんだって
マンガみたいな話だけど、本人が見たと言うなら見たんだろう そうでもなければ途絶した神社を再興するネネルギーなど出てこないだろうし
昔話はスペクタル 疑問を持つよりすんなり信じて楽しんだほうがいい
ただ、こういうのは下品だと思うなあ 古今東西、ずっとそうだけどさ
で、桜通りに出て
ちょっと歩くと左に見えてるのが上野大仏
1631年、越後村上藩主・堀直寄氏が漆喰の釈迦如来坐像を建立する 戦死者の慰霊が目的だが、江戸の時代の地震やら火災やらで度々倒壊する 致命的なダメージを負ったのが、1923年の関東大震災 ボディが崩れ、頭部がポロっと 以後、寛永寺が各パーツを保管するのだが、1940年、金属資源として軍に没収されてしまう 1943年、唯一残った顔面部がレリーフとして安置されるという歴史なのだが・・・ なんだか切ないねえ
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