12年5月15日 その3
このへんちょっと迷った 北から南へ進むと分かりやすいけど南から北へ向かうと分かりにくい
観光ルートが那覇を基点に整備された弊害だねえ
で、どうにか駐車場を見つけてバイクを停める 歩くの面倒だけど、ここが最後の訪問地だからね
今はびっちりアスファルトで固められてるけど、この下には石畳がある 修復工事のため車両が頻繁に出入りするので、保護のために固めたそうだ
最初に見えてくるのが祝女の住居跡 さっきは自分でググれなんて無責任なこと言ったけど ここで軽く説明しておく ----- 祝女(のろ) 地域の祭祀を運営し、御嶽を管理する女司祭 15世紀に整備された神職で、原則として世襲制かつ終身制 戒律や教典はなく、また、偶像崇拝はしない しばしユタと混同されるが、あちらは民間資格でこちらは国家資格 その地位には雲泥の差がある
この知念地区、旧知念村は17世紀末に波田真村と統合された 知念が波田真を吸収した格好 知念と波田真、それぞれの祝女は20世紀となっても存続したが 波田真の祝女は最後まで神山之嶽で波田真の人々と共に歩んだそうだ
もちろんこの屋敷跡は知念の祝女のそれ 知念の城(グスク)は知念の祝女が護るということ
当時の自治体の統廃合も今と変わらず政治的な色合いが強い 祝女を中心に、地域の結束が強い時代 波田真村の人々はさぞ悔しい思いをしたんだろう
さいたま市の大宮区みたいなもの 違うか
知念城(ちねんぐすく) 別名:知念杜グスク おもろさうしで「ちゑねんもりぐすく」と謡われた古いグスクである 野面積みの古城(くーぐすく)と切石積みの新城(みーぐすく)の2つの郭からなる ※ 野面積みが切石積みより常に古いわけではないので個人的にはこの区分に疑問がある
古城の建築時期は天孫子の時代ともグスク時代前半(12世紀ごろ)とも云われている 新城は15世紀に内間大親が築いたもの このアーチ状の正門(修復工事済)はつとに有名
内間大親は国王・尚円王が側室・内間祝女に産ませた子で尚真王の異母兄弟 出生の経緯から国王にはなれなかったが知念按司としてこの知念城に君臨した
くぐるよー
正門を出たところ 右手に穴のようなものがあるが、ググっても何か分からなかった
このグスクは大規模な修繕工事中のため、どこに何があるのかさっぱり 例えば由緒書きにある「火の神が祀られている小さな祠」なんてどこにもなかった 「瓦葺きの社殿」だそうだから、見過ごした可能性はない
この遺構も何がなんだか ただ、このグスクは完全に復元するそうだから、今後に期待したい 今のペースだと100年はかかりそうだけど
焚字炉(ふんじろー)とは字を書いた紙を焼いた炉のこと 明の時代の中国の風習が伝わったもの かつてこの地が中国との交易で栄えたことを窺わせる遺構
これらの遺構の反対側にはこんな光景が広がっている この上が古城で、現在は立ち入り禁止 発掘調査も行われているようだ
で、裏門を抜ける しまった、裏門の外観を撮影するの忘れた
逆側から撮影した画像 で、城の外をぐぐーっと周り込むと
新城が一望できる 中央が正門で、左が裏門だね 右に柵があるけど、現在はその手前へは進めない
なので迂回してこのグスクのメインスポットに向かってるわけ
これも何の遺構か分からなかった ストレスが溜まるな 分かる人がいたら掲示板にでも書いておくれ
友利之嶽(とむいぬたき) 友利ノ御嶽、友利御嶽とも 御嶽の云われは不明 ググってもググっても出てこなかった でも、ヒントを見つけた
おもろさうしにこうある 「あまみやから とよみよる知念もりぐすく」 「あまみや」は「アマミキヨ」 「とよみよる」は「名高く貴い」 「知念もりうすく」は「知念城」 そう、ここはアマミキヨを祀った御嶽 その証拠に
ここは久高島遥拝所でもある 晴れた日には久高島が一望できるそうだ
うーん楽しいなー もっといろいろ観たいなー
でも、午後は大雨の予報なのでね これくらいにしておく
まあ、目的は達成できたと思うのでね
つまり、アマミキヨの足跡を辿るという目的が
では、最後にざっとまとめておく あくまでもおれの解釈でね
久高島のハビャーンに降臨したアマミキヨは沖縄に七つの御嶽を創造する 天界の神々は久高島の東にある楽土ニライカナイに天下る やがて久高島は神々が往来する場所となる
あるとき伊敷浜に五穀の入った金の壺が漂着する 人々は身を清めてこれを手にし、五穀をハタスに捲く こうして久高島に農耕が齎される
アマミキヨは沖縄本島に進出する ヤハラヅカサに降り立ち、浜川御嶽に仮住まいをする 受水・走水で稲を栽培し、人々に広め、次に丘陵部へと移り住む ミントングスクに居を構え、玉城グスクを建設する
その後の足取りは分からないが、沖縄全土に伝承が残る 「ミントングスクに骨を埋めた」「知念大川で稲を栽培した」 「シルミキヨとの間に3男2女を産んだ」「浜比嘉島で永眠した」等々
しかし、アマミキヨは今も沖縄の始祖神として多くの人々に信仰されている
以上
パチパチパチパチ(拍手)
もう要らないのでバイクを返して
今日のぶらりは終了っと
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