12年5月15日 その2
グスクロードを1.5kmほど西下
すると左手に小高い丘がある
ここが次のグスクの入り口 石碑の向こうには広大な駐車スペースが用意されている
特に何かを示す標識はない が、道はここしかないのでここを進めということだろう
100mも進めば木製の階段が見えてくる 特に何も書いてないけどこれを昇れということかな
エ、エスカレーターなんて付けちゃダメだぞ! 絶対だからね!
中腹にある拝所に手を合わせ、さあもうひとふんばり
玉城城(たまぐすくぐすく) 神名:アガル御イベツレル御イベ 別名:アマツヅ城 築城年代や歴代城主は不明 発掘調査は行われていないが、13世紀に改修が行われた記録がある 沖縄最古の城(グスク)と云われるのはそのため 「島尻郡誌」はアマミキヨが築き、城主は天孫子であったと記述している
但し島尻郡誌は近年の編纂であるため伝承の正確性に問題がある 伝承の多くが口承であるため、年代を経て変容した可能性があるからだ 例えば天孫子は架空の一族であった可能性が高い 先の知念家の存在も問題を複雑にする
城跡は3つの郭からなる 城壁は一の郭のみが原型をとどめ、それ以外はアメリカ軍に接収された 現在は復元工事中(たぶんエンドレス)だが、上部の白い部分を見れば誰もが興醒めするだろう 遺跡の復元は常にその是非が問われる
てゆうか、科学のメスを入れる前に復元しちゃうとか、ちょっとまともじゃないぞ 調査されて困ることでもあるのかしら
雨粒天次御嶽(あまつぎあまつぎのうたき) 琉球開闢七御嶽のひとつ つまりこの小さな石壇は斎場御嶽、ウプウガミ(クボー御嶽)と同等の格式を持つわけだ 琉球国由来記によれば、干ばつの際の雨乞いの儀式の場
あとは全く分からない
どこをどう調べても、具体的な情報が出てこない
今にも朽ち果てそうなこのグスクに実に多くの拝所があって そのひとつひとつが今も信仰の対象であることは分かるのだけど その名称、由来、目的が全く分からないのだ
ふつう誰かがやるだろー 学者が調査して研究してその成果を論文にまとめて それを勝手に転載する輩が現れて情報がネットで拡散していく いいことか悪いことか分からないけど、ふつうはそう それを誰もしないってのが凄いよ だってここ、斎場御嶽、ウプウガミと同じレヴェルの聖域だもの じゅんを
でも、それがいかにも沖縄らしくて楽しかったりもするんだけど なんくるないさーじゃないけど、こまけえこたあいいんだよって
本丸門を逆から見たとこ ゴホウラ貝の形状を象ったとも云われている 朝になると本丸門を潜り抜けた光が雨粒天次御嶽を照らすそうだ 光の源は太陽 久高島から昇る太陽
そう、ここにも久高島信仰が、ニライカナイ信仰がある
楽土、楽園、常世、理想郷、桃源郷、別天地 そして天国 突き詰めて言えば、永遠の命、不老不死のある場所
人が何故そんな場所を目差すのか、おれにはちょっと分からないな 「命は限りがあるから美しい」 星野鉄郎がそう言ってるじゃないか
さて
このアマミキヨの足跡を辿る旅の、最後のエリアへと向かおう
知念地区
アマミキヨが最初に稲を捲いたのは、受水・走水ということになっているが 実はもうひとつの候補地・伝承地がある
「受水・走水の次に」という曖昧な解釈もあるが それがここ
知念大川(ちねんうっかー) このあと訪ねる知念城の西側入り口にある井泉 水源は後方の断崖の奥深くにある
アマミキヨはこの井泉の後ろにある「うふぁかる」で初めて稲を栽培したという 琉球国由来記ではこちらの伝承も紹介している(田・陸田(見五穀之記))
こう見ると分かりやすいか 石碑が2つあるが、後方、つまり右側の石碑辺りが「うふぁかる」と推測される
どちらが先かは神のみぞ知るところ ここではアマミキヨか でも、水溜りをコンクリ詰めにするってのは形勢に影響するんじゃないかなあ
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