12年5月14日 その2
糸満街道(国道331号)に戻り
知念郵便局で右折して
400mほど北上すると斎場御嶽が見えてくる
緑の館・セーファ ここで200円を支払って館内を通って御嶽に入るシステム
ちょっと気になったのが、受付に4、5人の女性職員がいたこと 外には常勤と思われる庭師のおじさんもいた
どうなんだろ 200円の入場料で賄えるコストではないし、となると税金かなあ あの、おしゃべりマニアの女性スタッフはみな公務員さんなのか
ちょっと疑問に思って調べたら、以前は無料だったものが2007年から有料化されたそうだ 世界遺産登録に伴う維持管理費の増大が主な理由らしいが それならそれで維持管理に絞って人員を配するという発想はなかったのか おしゃべり専門のスタッフは必要ないし、この施設はもっと要らないぞ
斎場御嶽(せーふぁうたき) 琉球王国第2尚氏王朝第3代国王・尚真(在位1477〜1526年)が整備した御嶽 神名「君ガ嶽、主ガ嶽ノイビ」 2000年、首里城跡等と共にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された 御嶽(うたき)とは沖縄の「聖地」の総称で、斎場(せーふぁ)とは最高位を意味している つまり、斎場御嶽は琉球王国最高の御嶽を意味することになる 琉球開闢七御嶽の一つとして、また、東御廻りの巡礼地として名高い
琉球王国時代、大きな祭事においては久高島から運んだ白砂を御嶽全体に敷き詰めたという 神の島と云われる久高島の白砂を用いることで御嶽全体を清める目的があったと思われる 祭事の中で最も大きなものが聞得大君(きこえおおきみ)の就任式だった 「お新下り(おあらうり)」である 聞得大君とは琉球神道における最高神女で、祝女(ノロ)の頂点に立つ者のこと 1470年から1875年、15代に渡って琉球王国の神事を担ったという
当然その管理は聞得大君に委ねられ、他の御嶽と同様、全域において男子禁制とされた 画像中央の御門口(うじょーぐち)から先は王国の要人ですら立ち入ることを制限された やむなく入る場合は袂の合わせを女装に改める必要があったそうだ
ここから先は画像を多く用いて詳細にレポする 沖縄最高の聖地なのでね
御門口から石畳を100mほど登ると左手に大庫裡が見えてくる
大庫裡(うふぐーい) お新下りの中心的な祭場 聞得大君に黄金の簪を挿すことで霊威を付ける「御名付け(おんなつけ)」の儀式が行われた
岩の手前に平らな石が敷き詰められ、香炉がおかれている また、排水遺構や、白砂を敷き詰めた形跡も残っている
大庫裡とは大きな部屋を意味するが、庫裡とは元々仏教用語で、台所を意味するんだそうだ 台所の語源を人間の胎盤とする説もあるから、ここはまさに神を産み落とすための場所なのだろう
ちなみに首里城正殿の二階にも同じ大庫裡の名が付されている それだけでいかにここが重要な場所であるか分かるというもの
続いて寄満へ向かうわけだが
その途中に小さな池が見えてくる
沖縄戦の艦砲射撃の着弾跡が後に池となったもの 砲弾池と呼ばれている この辺りは比較的被害が少なかったが戦争の爪痕は今でも確実に残っている
人間ってバカだよなー ほんと
寄満(ゆいんち) その年の吉兆を占うための馬の形をした石が置かれていた場所 これもまた、首里城内に同じ名のスペースがあると云われている が、公式サイトにその名はなく、どうやら現在復元工事中のようだ
寄満とは沖縄の言葉で(本来の)台所を意味する かつて首里城内の台所には国内外から多くの自然の幸が集まった つまり、豊穣の寄り満つる所だったわけで そこから転じて五穀の豊凶を占い豊穣を祈る場所となったと推測される
当時の人々にとって五穀の作況は最大の関心ごとだものね
そして、最後にこの場所へとやって来る
ここが斎場御嶽のメインスポット 特別な呼称はないが、このスペースに5つの重要な遺構が集中している 手前から見ていこう
チイタイイシ 下に見える2つの壺は上に見える鍾乳石から滴り落ちてくる水を受けるためのもの その水量により、琉球国王子や聞得大君の吉兆、五穀の作況を占ったという
この鍾乳石から滴り落ちる水は「聖なる樹木をうるおす聖水」と云われていた 正月の若水取りの儀式にも使われ、再生の効果があるとして大変に重宝された 今もなお、何人もこの水に触ることは許されない
奥の壺をシキヨダユルアマガヌビーといい、手前の壺をアマダユルアシカヌビーという 別頁で触れるシルミキヨとアマミキヨが語源だろう かつては金製の壷が置かれていたと云われている
貴婦人様お休み所 単に参拝者・見学者のための休憩スペースなのか、それとも宗教的な意味合いのある場所なのか また、男子禁制の地で(つまり女性しか入れない場所で)あえて名称を女性に限定したのは何故か ググってもさっぱり分からない 考え得るのは、参拝者が参拝の準備をする場所、つまり、更衣室の類ではないかということくらい
三角岩 2つの巨岩で構成される洞門で、その高さは10mを超える 1万5千年前の地震により現在の形状になったと思われる
三庫理(さんぐーい) 奥に見える3m×3mほどの空間をいい、ここから様々な資料が出土している 1998年には聞得大君の装身具と考えられる金の勾玉が出土した 首里城正殿三部屋と同一視する見解もあるが仮説にすぎず論拠はない 右手には京のはなの拝所が、左手には久高島遥拝所がある
京のはなの拝所(チョウノハナの拝所) 斎場御嶽において最も神聖とされる場所 チョウは切り立った岩山のこと、ハナは先端のことを意味する ここに久高島より運ばれた白砂を敷き詰め、松明を灯して神事が行われたと云われる
久高島遥拝所(くだかじまようはいじょ) 久高島とは沖縄創世の地であり、楽土ニライカナイへのお通し所と云われている 人々は久高島を遥拝することで魂の復活や五穀の豊穣を祷った かつては御門口の下方にあったが、いつしかこの場所が遥拝所として定着していった
画像中央に薄っすらと見えるのが久高島
うーん
知念岬といい、ここといい、久高島はおれにその全容を見せようとしないなあ
となると、だ
やっぱ行かなくちゃかなあ
神の島・久高島に
しまった、パンフレットがべろんべろんに
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